うさるの厨二病な読書日記

厨二の着ぐるみが、本や漫画、ゲーム、ドラマなどについて好き勝手に語るブログ。

【漫画】 「北斗の拳」から学ぶ、男性の愛情表現

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「北斗の拳」懐かしい…。

家に全巻そろっているので、たまに読み返している。名作というのは、大人になっても面白い。

 

読み返して驚いたのは、

①意外に、展開がはやい。

レイとかアインとか、けっこう出ている期間が短い。それなのに、こんなに印象深いキャラなのがすごい

 

②愛について、めちゃくちゃ語っている。

少年漫画でこんなに愛について語っている漫画はないんじゃないかと思うくらい、「北斗の拳」は、様々な愛について語られている。

 

ラオウ「ユリアも、俺の野望のひとつ」

トキ「ラオウ、それは野望ではない。愛だ

 

すごい会話だな。とても素面で喋っているとは思えない。

 

というように(?)「北斗の拳」は、愛の物語でもある。

少年漫画なので、特に男性から女性への愛の形が語られている。

今回は、女性にとっては今いちピンとこない男性の愛情表現を、「北斗の拳」から学びたい。

男性の愛情表現というのは、女性には今いちピンときていないことが多い

それは何故か??? という理由が、この記事を読んでもらうと分かるかも……しれない。

 

「北斗の拳」で愛に生きた登場人物といえば、真っ先に思い浮かぶのが南斗水鳥拳のレイだ。

余命いくばくもない身で愛するマミヤのためにユダと戦い、死んでいく。

ユダ戦からレイの死までの展開は、いつ読んでも泣ける。

 

でも冷静に考えたとき、なんか変だなと思う。

なぜ、ユダを倒すことがマミヤのためになるのだろう?

 

ユダが死んだことでマミヤは死兆星が見えなくなったので、結果的にはマミヤのためになったけれどそれはあくまで結果的に、だ。

 ユダと戦った時点で、レイは「ユダが死ねば、マミヤが死兆星が見えなくなる」ということを知らなかった。

「マミヤには、死兆星が見えている」という事実すら、ユダと戦う直前に、ユダに教えてもらったくらいだ。

 

じゃあ、なぜユダを倒すことがマミヤのためになるのか???

なぜ、レイはそう思ったのか???

 

マミヤは、昔ユダにさらわれたことが心の傷になっている。

ユダという存在を消せば、心置きなく幸せになれるんじゃないか。

理屈はそうなんだろうけれど、この理屈、今いちピンとこない。

相手が死んだからって、心の傷って消えるか??

それよりも、傷を負った自分のそばにいてくれたほうが心の傷って癒えないか??

レイは確かに余命がない身だが、それでもマミヤのそばにいて見守っていてあげたほうが心の傷は癒えるような気がする。

それに余命が少ないなら、好きな人のそばにいたいものじゃないのか???

というのが、女性の発想だ。

 

たぶん、男は違う。

とにかく何か行動がしたい。

とにかく何かすることを与えてくれ。

 

よくよく読み返してみると、レイはマミヤの過去の話を聞いたとたん、誰も頼んでいないしユダは何もしていないのに、ユダを倒しにいっている

完全にただの辻斬りだ。

ユダはむしろ喜んでいたので、まあいいんだろうけれど。←え?

 

愛する女のために、自分ができることを作り出す。無理やりにでも。

これが男性の愛情なんだろうな。

相手の女性のために自分ができることが何もなくなったとき、もしくは何もできることがないと思ってしまったとき、男性は例え、その相手が好きでも一緒にいられないのではと思う。

「ただ、一緒にいる」ことは、男性にとっては愛の表現にはならない。

 

ただそばにいて、話を聞いてくれるだけでいいんだよ。

という女性に対して、

君のために何もすることがない、なんていう状態は耐えられない。

という男性。

女性がよく言う「ただ話を聞いてくれるだけでいいのに、男はどうして余計なアドバイスとかするの?」というのは、たぶんこれじゃないかと思っている。

 

逆に言えば彼女がピンチでも何でもなく、日常をつつがなく過ごせている場合は、彼女のことはそれほど気にしていない、という男性はけっこう多いのではないだろうか。

それに対して「気にしていない」(連絡をくれない)ということは、もう愛情がないのではないだろうか? と考えてしまうのが女性。

 

女性は「つながりの積み重ねが好意や愛情」と感じやすい。

この辺の根本的な考え方の違いを、お互いに分かっていないのでは、と思う相談事や事象をたまに見かける。

 

日常では、「彼女の存在なんて忘れているんじゃ??」というくらいほったらかしでも、(実際、忘れている。)彼女がピンチのときや必要としているときに、突然、いろいろやり出すのが男性の愛情表現なのだと思う。

 

トキも普段はユリアを見守っているだけなのに、いざ、ユリアがラオウにさらわれそうになったときは、別に自分の彼女でも何でもないのに、ラオウと戦おうとする。

「北斗の拳」は、すごく分かりにくい男の愛情表現がすごく分かりやすく描かれている。

別に頼んでもいないし何の役に立つかもよく分からないのに、ユダを倒しに行くレイのように斜め上45度の愛情表現に突っ走られた場合、それはそれでうまく受け取りつつ「自分はこんな風にしてくれたほうが嬉しいな」と誘導してあげるのが愛情の受け取り力の見せどころかもしれない。

ここでそんなことされても、ちっとも嬉しくないけど??などどいう、本当のことだけを言うと話がややこしい方向へいく。基本的にはまあ好意からやってくれている、ということは忘れないほうがお互いのためになる。

 

「北斗の拳」を読むと、男性の愛情は(男女間に限らず)シンプルでいながら深いものだなあと感じる。

 愛する人のためには、命をかけて戦う。

 「北斗の拳」は、そんな男性の愛情を語った物語でもある。