冷たくて怖くておかしな秀吉殿下と、強い女たちの巻
NHK大河ドラマ「真田丸」第20回「前兆」の感想です。
前回第19回「恋路」の感想はコチラ↓
「そのころ、真田家では」
無事に上田に帰ってきた、父上と源三郎。コウは、離縁して里に帰ることになりました。パパは、すっかり元気になって、相変わらずうまく立ち回っています。
第18回「上洛」のとき、すっごい心配して損した(-_-メ)
でも、パパ相手だと、源三郎のように「父上だから、仕方がない」という心境になるから不思議です。
こういうずるく要領よく立ち回るけど憎めないおじさんを描くのが、三谷幸喜は本当にうまいです。
コウは、侍女でもいいから源三郎の側にいたいのか……。
それって、けっこう辛くないか? と思うのですが、本人たちが幸せそうなのでいいのでしょうか?
「面白い且元と格好いい三成」
今週、一番笑ったのが、片桐且元の「わたしとしたことが」ですよ。
いいいなあ、且元。
自分もこんな面白いこと、言ってみたいです。
今週は、三成が恰好よかったです。
人の接し方が冷たく、うまくない(というか、うまくなろうともしない)三成の、芯の強さが見えた回でした。
源次郎に対して「お前は下がっていろ」と言ったのも、秀吉と一対一で話したいっていうこともあったと思いますが、源次郎のことを思いやる気持ちもありますよね。
それをああいう言い方しかできないところとか、悩んでいても誰にもそれを言えないところとか、本当に間違っていると思ったら、死を覚悟して秀吉を諫めるところとか、
そういうところが、三成だなあと思います。
普段は本当に憎らしいけれど、スジを通すべきところは通す、それを称賛しても、超憎らしい答えが返ってきそうなところがいいです。
ツンデレではなく、ツンツンツンデ……ツンツンツン、
象形文字みたいで、目がちかちかします。
「怖くて冷たくておかしな殿下」
殿下は「怖くて冷たい」という寧の表現は、ちょっと疑問です。
怖いはそうなんでしょうけれど、冷たい人が、
「茶々の子供が自分の子供ではないかもしれない」
ということを、あそこまで感情的に怖がるかなあ?
という気がします。
秀次が諫めたときに激怒した様子も、怖い、というよりも傷ついているんだろうな、可愛そうだなあと思いました。
「激怒する演技で、自分の傷ついた心や傷つくことへの恐怖を表現する」
って、本当にすごいよな。
こういう微妙で繊細な心の揺れの演技が的確にできる、小日向さんには脱帽するしかありません。
この秀吉、相当難しい役柄だと思うのですが、
(下手な人がやると、人格が分裂している訳が分からない人間、みたいに見えると思います。)
それをきちんと一人の人間として、しかもひとつひとつの微妙な感情まで演じ切っている小日向さんは本当にすごいと思います。
小日向さん以外の人が、この秀吉を演じていたらどうなっていただろう?
と考えると、ちょっと怖いです。
怖いものみたさで、一回くらい見てみたい気もしますが。
これほど「真田丸」の秀吉が生き生きとしていて魅力的なのは、小日向さんの演技が素晴らしいこともありますが、
三谷さんが、
秀吉に、自分を重ね合わせて描いているから
なような気がします。
最初の結婚で子供ができなくて、自分が年がいってから再婚相手との間に子供ができたとか、落書きが民の声というのは、ネットの声とたぶらせているのかなとか、いろいろ考えます。
秀吉にとっては、人を磔にして民の恨みを買うことよりも、茶々に「お腹の子供は、本当に自分の子供か?」と聞くことのほうが怖いんですよね。
自分の心の中のその恐怖を見ないためならば、顔も知らない人間を何百人でも何千人でも殺したほうが楽なんですよね。
秀吉は権力者なので実際にこういうひどいことになりますが、これは、誰でもそうだと思います。
自分が真に恐怖しているもの、不安に思うものを見ないためならば、人間はどんなことでもやると、個人的には思っています。
秀吉のように天下をとるほどの才覚も力も持っている人間が、平凡な人間と同じように弱さを持っていて、同じように不安から逃げ回っていると考えると、ちょっと切なかったです。
そして、どんな偉大で強そうに見える人でも持っている、不安や恐怖を支えて癒すのが、女性の役割なんですよね。
秀吉のすべてを理解していて、その不安を鎮めて、間違いを正してあげられる寧も、その心を安らかにしてあげることができる茶々も、秀吉にとっては、両方必要で大事な女性なのでしょうね。
源三郎にとって、稲姫とおコウ、両方が必要なように。
贅沢だな……(-_-)と思いますが。
次回は第21回「戦端」です。
久しぶりに、少しずつご飯に汁をかける北条が出ますよ。