宮藤官九郎脚本「ゆとりですがなにか」第七話の感想です。
前回、第6話の感想はコチラ↓
ダメな自分をさらけ出せる場所
「もっとさらけだせばいい。ダメな自分を」
今回は、この一言につきますね。
正和も、山岸も、まりぶも、茜ちゃんのパパも、駄目な自分を出すのが怖くて、苦しんでいる感じですものね。
大吾はダメな自分をさらけ出せる場所、応援してくれるやまじや4年2組のみんながいて、幸せだと思います。
この人なら受け入れてくれる、この場所なら受け入れてもらえるっていう場所があれば、駄目な自分を出すことも怖くはないですよね。
4年2組の子たちは、本当にいい子たちばかりです。
大吾のために、お父さんにはっきりと自分の意見を言ったり、やまじは本当にいい先生だな、と思います。相変わらず、女性を見る目はありませんが。
「1じゃなくて、2」だとしても、2つとも地雷ですから。
山岸の株が爆上げ
何てことだ。
このドラマを見始めた当初は、まさか自分が山岸を好きになる日がくるなんて、思いもしませんでしたよ。
あんなに憎らしかったゆとりモンスターの裏の顔が、こんなに可愛い甘えん坊のドジっ子だったなんて。ツンデレにも、ほどがあります。
画面に向かって、「ぶっとばしてやりてえ」と息まいていたあの頃が嘘のようです。
「粋がっているか落ち込んでいるか、どちらかですよね」
二十代前半の働きはじめの男子なんて、みんなそういうものじゃないですかね。
本当に自信が持てるまでは、みんな大変ですよね。(急に優しくなる。)
山岸も店舗勤務で、ネギまの切り方から学んで鍛えられれば、きっと成長すると思います。
まーちんの葛藤
男目線で見ると正和の葛藤も分からないでもないし、女目線で見ると、茜ちゃんのもどかしさが分からないでもない。
こういう風になると、難しいと思います。
第6話の感想でも書きましたが、結局は正和自身の問題なんですよね。
「周りは関係ないけれど、周りから認められないような自分ではありたくない」
というか、
「自分が認められない自分でいることが耐えられない」
んだと思うんですよ。で、
「自分が認められない自分で、果たして結婚して彼女を幸せにできるのだろうか?」
「そういう自信がないのに、好きというだけで結婚していいのだろうか?」
って言うと、男性は「NO」っていう人が多いと思います。
そもそも、「自分が自分を認めていない状態」では、結婚なんて考えられないんだろうなあと思います。
女性には、どうもピンとこない部分なので、茜ちゃんみたいなタイプの女性だと
「お金のことなら二人で働けばいいし、仕事なら結婚してから考えてもいいし」
と考えて、一体、相手が何にこだわっているのか分からない状態になるのだと思います。
で、真面目だけれど余り自分の考えを説明することが得意じゃないタイプの男性だと、感覚的なことなので言葉で説明できなくて、(そもそも、自分がそういう風に考えているということすら、分かっていない場合もあるので。)何が問題なのかよく分からずに、結婚に至らないというケースが多いような気がします。
茜ちゃんも「結婚したかった」なら、もっと早く言えばいいのにとか、正和も、いきなり「別れようか」じゃなくて、もっと自分の気持ちをきちんと説明しろよと思います。
正和と茜ちゃんのカップルって、やり取りとか経緯とか関係性とかが、すごくリアルです。クドカンと奥さんがこんな感じなのでしょうか?
茜ちゃんの本音を聞いて、正和がやっと決断したみたいです。
茜ちゃんは早川さんとややこしいことに……、なっていないと思いたいですが、まりぶとゆとりの件があるので、もう誰も信じられません。
まりぶはおっぱいをやめて、植木屋さんに転職したんですね。
けっこう、ゆとりに対して真剣なんですね。
ちゃんとするところはそこじゃないだろうと思いますが。
悦子先生はアルバイトを始めるし、だいぶカオスになってきました。
店員姿がめっちゃ可愛いです。
地雷だとしても、踏みたくなる気持ちも分かる。